Encoding of this website is Japanese(Shift_JIS). Japanese fonts required to view this website.

ここは【お姫様倶楽部Petit】の備忘録的リンク集【Petitの本棚】です

ワード検索
キーワード: AND OR
検索結果:3
[その他文献]〔雨ニモマケズ〕
作家名:宮沢賢治

病床にあった宮澤賢治が、自身の目標、希望、願望を、愛用の黒手帳に書き留めたメモ。
冒頭に11.3の数字が書かれているため、賢治がこの手帳を使っていた昭和6年(1931年)11月3日に書かれたものと推察される。
この時期、賢治は肺炎などのため故郷に戻り、闘病中だった。
24節目は一般的に「ヒデリノトキハナミダヲナガシ」とされているが、メモに書かれているものを正確に表記すれば「ヒドリノトキハナミダヲナガシ」となる。
この一文は
「日照り(旱魃)の時は」と表したかったものの誤記である
とするのが通説だが、
「日取り(日雇い労働)の時は」の意であり、誤記ではない
という説もある。
(「ヒドリ」は方言で猛暑・高熱を意味するとして、「ヒドリ」という音のまま「旱魃」を表しているという説もある)
(2008/10/09(Thu) 11:10)
[▼資料其の一▼]宮沢賢治
宮澤賢治(1896年8月27日:戸籍上は1896年8月1日- 1933年9月21日)
詩人・童話作家・農業指導家・教育者。
岩手県稗貫郡里川口村(現・花巻市)に生まれる。
独特な世界観を持つ童話作品群を生み出すも、その作品の多くは彼の死後に出版されたもの。
裕福な質屋に生まれ、貧農が家財を質入れするさまを見て育った彼は、ある種の罪悪感を持っていたとされ、作品の多くに自己犠牲や献身による弱者救済、あるいは強者(富者)への嫌悪感が現れている。
いちど完成した作品をあとになって手直しする傾向が強くあり、未発表の作品の多くは「未定稿」のまま残されていた。また、出版されたものでも版によって記述が異なるものもある。
昭和8年(1933年)9月21日に急性肺炎で死去。享年37。
(2008/07/03(Thu) 14:35)
[児童文学・童話]虹の絵の具皿 (十力の金剛石)
作家名:宮沢賢治

玻璃(水晶ないしはガラス)の宮殿から内緒で抜け出した王子さま。
そっと駆け込むのは大臣の家。
大臣の息子は王子さまと同い年のお友達。
虹の脚もとにあるという『ルビーの絵の具皿』を探しに、王子さまと大臣の息子は霧の立ちこめる野原を駆け出した。
暗い森を抜け、藪を切り払って、濃い霧の中を進んでゆくと、そこは森にかこまれたきれいな草の丘。
空からぽつぽつ降る霰はダイアモンドやトパーズやサファイア。
竜胆の花は天河石(アマゾナイト)で葉は硅孔雀石(クリソコラ)、黄色い草の穂は猫睛石(キャッツアイ)、梅鉢草は蛋白石(オパール)、当薬の葉っぱは碧玉(ジャスパー)で蕾は紫水晶(アメシスト)、野薔薇の枝は琥珀と霰石(アラゴナイト)で真っ赤なルビーの実がなっている。
美しい花々は寂しげに歌う。
「十力(じゅうりき)の金剛石は今日も来ない」
花たちが言うには十里木の金剛石とは、
チカチカうるさく光ったりせず、きらめくときも、かすかに濁るときも、薄光りするときも、真っ暗なときもあり、春の風よりやわらかく、卵形に丸く、霧よりも小さいときもあれば空や大地を埋め尽くすときもあり、千の粒に分かれることもあれば、たちまち一つに集まり、堆肥の湿り気の中、草や木の体の内、子供の頬で輝くもの。
花々が待ち望むそれは、やがて漸く降り注いだ……。
(2007/09/03(Mon) 11:54)